2008年7月10日(木曜日)

ギャンブルの死生観

 九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、
 八萬地獄に落つべき罪もなし
 生きるまで生きたらば、死ぬるでもあろうかと思ふ

 いわいるアレである。
 確変中に流れる歌「漢花」の間奏でカクタさんがぶつぶついうところ。

 もしくは、原作の小説「一夢庵風流記」の最後で、作者の隆慶一郎さんが、
「慶次朗の言葉で最も気に入っている」というほど思い入れをみせる言葉。

 九品蓮台とは、仏教用語で、極楽浄土にあるという蓮の葉のうてな(土台)
往生したものが座す。生前の高徳によって九等の差別がある。
 八萬地獄もまた仏教用語で、衆生が有する八万四千の煩悩がなす悪行によって
受ける多くの苦しみを地獄になぞらえていう語。
 
 要するに、天国に行きたいとも思わんが、地獄に落ちるような悪いこともしちゃいない。
 生きるだけ生きたら、死ぬんだろうね。というような意味である。

 これが、慶次の死生観がよくわかる言葉としてとりあげられているものである。

 カッコ良いよなあ。シビれるよなあ。
 と、思っていたのは最初の頃だけ。
 そんなに上等なもんではないのです。たかがパチンコ。
 アホみたくハマリと爆発を繰り返す慶次サンは「天国と地獄」どちらも味わえる。
 ぶっちゃけ、天国にイカされる。という「プチ臨死体験」のスリルがたまらないわけです。
 ギャンブルとは臨死体験である。(ドストエフスキー)
 されどパチンコ。二千万人を虜にする魔力みたいなもんがある。 

 パチンコで負けたってお金しかとられない。
 ただ、資本主義の世の中、金がなくなることは死に等しい。(言いすぎだけど)

  
 パチンコで天国のような夢心地を味わいたい。(ようするに玉がいっぱい出る)
 それはすべての慶次打ち、いやパチンカーが見る夢。
 要するに本当は勝ちたい。

 でも、ハマるのも悪くない。気持ち良い。

 慶次を打つ多くの人は「どM」なんじゃないかと思ふ。
 ガンブッコミしているオジサンの表情はどことなく楽しげだ。
 ギャンブルでの生き死に、いや、慶次での生き死にを楽しんでいるかのようにみえる。
 オジサンは連チャン即ヤメなんかする人はかわいそうといわんばかりの表情をみせる。
 「慶次の醍醐味を味わえないではないですか。」
 「ヒットアンドアウェイとか言ってチキン打ちしている場面じゃないんですよ。」
 オジサンの声が聞こえてくるようだ。

 打つなら全ツッパ!!
 こういうオジサンが最近多くなっている。

 そして俺もそのオジサンのひとりである(笑)
 
 さ、本日もカブきましょう。

  


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